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「鍼灸」ってどういうもの??

こんにちは!


今年も残すところあと2ヶ月、
近々年の瀬を感じるころですね。


これからの季節、
また一段と寒さが強くなります。


体調管理には十分にご注意くださいね!

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さて、今回のテーマは「鍼灸」そのもの!


「鍼灸」というものがどういうものなのか、
歴史も踏まえてお話しさせて頂きます。


鍼の元は石器時代の古代中国において発明されました。

砭石(へんせき)もしくは石鍼(いしばり、石針とも)とよばれており
この鍼の元は主に膿などを破って出すのに使われていました。

これが後に動物の骨を用いて作られた骨針、
竹でできた竹針(箴)、陶器の破片でできた陶針などになってき、
現在使われる金属の鍼は戦国時代頃に作られ始めたといわれています。

この鍼が黄河文明で発展した経絡の概念や臓腑学(ぞうふがく)、
陰陽論(いんようろん)などと結びついて鍼治療が確立されていきました。

黄帝内経(こうていだいけい)と呼ばれる最古の中医学理論のテキストの中に、
当時使われていた鍼を特徴で9つに分類した古代九鍼が紹介されています。


この9つの鍼は使用用途が異なり、以下のように使い分けます。
・皮膚切開による排膿などを目的とした
鑱鍼(ざんしん)、鈹鍼(ひしん)、鋒鍼(ほうしん)

・生体の皮膚や筋肉内に深く刺入することを目的とした
毫鍼(ごうしん)、長鍼(ちょうしん)、員利(円利)鍼(いんりしん、えんりしん)、大鍼(だいしん)

・生体内に刺入せず、皮膚の擦過や圧迫を目的とした
鍉鍼(ていしん)、円(員)鍼(いんしん、えんしん)


日本において鍼、灸、湯液などの中国医学概念は
遣隋使や遣唐使などによってもたらされました。

奈良時代の律令制において既に鍼師(官職名としては針博士・針師)が医師、
按摩師などと共に存在していたことが分かっています。

以降、鍼師は医師などと共に
日本の医療の中核を担っていくようになっていきました。


手技においても安土桃山時代に御薗意斎が
金や銀の鍼を木槌で叩いて打ち込む打鍼法や、

江戸時代に盲人の杉山検校こと
杉山和一によって作られた管鍼法などがあり、

特に杉山和一の影響は大きく、
管鍼法は日本の主流の技法になっています。

お灸の起源は約三千年前の古代中国の北方地方において発明されました。
多くの地方に皮膚を焼くことを治療行為とする伝記が残っています。

日本において鍼、灸、湯液などの伝統中国医学概念は
遣隋使や遣唐使などによってもたらされました。

灸は律令制度や仏教と共に日本に伝来したが、
江戸時代に「弘法大師が持ち帰った灸法」として新たな流行となり、
現在も各地に弘法の灸と呼ばれて伝わっています。


また他にも「家伝の灸」として無量寺の灸、四ツ木の灸などがあり、
これらの灸法は打膿灸と呼ばれ、
特に熱刺激が強く、皮膚の損傷も激しいため、あまり一般化されていません。

打膿灸は日本において腰痛や神経痛など様々な症状に用いられますが、
実際のところは腫れ物(癰)などに用いたのではないかとも考えられています。

鍼とは異なって、奥の細道にも『三里に灸すゆるより』とあるように、
旅路での足の疲れを癒したり、

徒然草にあるように「40歳以上の者は三里に灸をすると、のぼせ(高血圧)を引き下げる」
というように、灸をすることは庶民へ民間療法的側面を強くしながら伝わっていきました。


戦後に活躍し昭和の名灸師と言われた
深谷伊三郎は『黄帝明堂灸経』や『名家灸選』などを読んで深谷灸法を作り上げた。

彼の灸法は、中医学で行われている灸法や奇穴も取り入れており、
そのツボに灸することで出る効能が現在も多くの鍼灸師に多大な影響を与えているのです。

なんだか難しい話に聞こえますよね(;^ω^)

要するに、長年(西洋御医学が発展する前)から
沢山の人々に愛されていた治療法が「鍼灸治療」なのです!


次回はどのよううなメカニズムで
治療がされるのかお話ししていきます!

最後までお読み頂きありがとうございました。

大島はり灸院
吉居 亮

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